「のんびり行こうよ」 赤城智美 アトピッ子地球の子ネットワーク事務局長 第六回

「のんびり行こうよ」は、『アトピー最前線』50号(1999年4月号)~ 68号(2000年11月号)に不定期連載された、アトピー・アレルギー性疾患をもつ子どもの子育て奮戦記です。


6回 からだ全体の様子をとらえる

からだの異変に気がついた
 からだの仕組みってほんとうに不思議ですね。一つひとつの状態が単独で起こっていたら、気づかなかったかもしれません。次から次へと波のように押し寄せてくれたおかげで「からだの異変」に気づくことができました。
 でも、もし経過を振り返ることをせず、後半の状態のからだだけを誰かが見たら、どんなふうに感じたでしょうか。ぐったりしている。両方の手首を掻き壊して、赤いポツポツの上に切れて血のにじんだ筋がいくつもできている。耳が切れて透明な体液と血液が絶えず出ている。自分のからだから出ているその体液にかぶれて耳の下から顎にかけて、赤くただれたところが点々とある。膝の裏の皮膚が真っ赤になっていて、掻き壊したところからは血がにじんでいる。グズグズと機嫌が悪く、ちょっとしたことですぐ泣く。
 機嫌が悪かったりぐったりしているのは、かゆくてつらいからだろう。一見するとそんなふうに見えませんか? こんなときお医者さんに診せれば、皮膚の状態にまどわされてしまいそうです。しかし、皮膚はかゆいし痛かったのですが、わが子の場合はぐったりとグズグズが先だったのです。病気の名前なんてわからないけれど、「からだの中も外もしんどそうだなあ」ということは、理解できます。 目に見える状態は「アトピー性皮膚炎」。でも、皮膚だけが問題なのではないのだ、とそのとき感じました。

連絡ノートが教えてくれた
 産休が明けて子どもを預けて働き始めたとき、食事や排泄の記録を保育ママさんに手渡し、同じノートに今日一日遊んだ様子や機嫌、体調などを保育ママさんが書き込んで、夕方返してくれました。子どもとともに行き来するこの連絡ノートが、実は「子どもを観察する」きっかけを与えてくれたのです。
 保育園に入園してノートは途切れていたのですが、子どもの変調をきっかけに、記録を再開しました。いろいろなことがあっても、観察するばかりでじっと動かない私の様子を見て、周りの人はさまざまな反応を示しました。 子どものことをよく知っているのは私。
 父母会仲間や親戚などの近しい方々は、私のおっとりした対応を心配して病院行きをせかします。多彩な症状の一つひとつを捉えて、腎臓に欠陥があるのではないか、薬を塗らないから症状が続くのだ、だるそうだから風邪なのではないかというのです。町内会のお年寄りや医師免許をもつ友人は、子どもはお漏らしをするものだし、甘えん坊な子はお母さんにまとわりつくものだ、子どもの様子をいちいち「異変」ととらえて、ものごとを考え組み立てていくのは、神経質すぎる。もっとおおらかに子育てをしなさい、と私を諭してくれるのです。
 病院へ行け、というやさしさも、神経質になるな、というやさしさも、とてもありがたく、ずいぶん心を揺さぶられました。でも、「そうじゃないんだよ」という心のなかの呟きは、日増しに揺るぎないものになっていくのです。頑固だ、神経質だ、ぼーっとしていて判断力がないなどと、いろいろなレッテルを貼られるようになると、少し悲しくなりました。それでも、「まあ、いいじゃないの、子どものことをいちばんよく知っているのは、母親の私なんだから。」という、開き直りに助けられて、観察と記録の日々は続きました。

いいかげんさとひらめきを大切に
 観察と記録を継続させるコツは、書き込めなかった日があっても、完璧なメニューをつくれなくても「まあいいか」と思う「いいかげんさ」かもしれません。それから、「あれ? おかしいな」「それ、本当?」という疑問やひらめきを大切にして、まずは思ったとおりにやってみる勇気も、きっと大事な要素だと思います。とはいうものの、勝手な思い込みではなく証拠もあるのだと、私自身も納得したいと思うようになり、ついに私はノートと写真を持って、電車を乗り継ぎ2時間かけて、食物アレルギーの専門医を訪ねました。

※『アトピー最前線』54号(19998月号)より転載