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「のんびり行こうよ」 赤城智美 アトピッ子地球の子ネットワーク事務局長 第九回

2000.05.01
「のんびり行こうよ」は、『アトピー最前線』50号(1999年4月号)~ 68号(2000年11月号)に不定期連載された、アトピー・アレルギー性疾患をもつ子どもの子育て奮戦記です。


 9回 元気になったらお散歩にいこうね

 少年も、5歳ともなると意地やプライドがあって、集団の中では頑張りたいときもあります。遠足のときは、その晩、息が苦しくなってもいいから一世一代のおやつを持参したい。毎月のお誕生会に出てくるケーキは、痒くなるので食べたくないけど、代わりに缶詰のモモを食べさせてくれるなら、とってもうれしい1日になるな......という具合に、リスクを覚悟するタイミングや代わりのものへの満足を、子ども自身で選べるようになりました。
 母親としての私の役割は、子どもがリスクを覚悟して何かをしたいとき、どうしたら症状を最小限に抑えることができるか考え、対処することでした。日ごろは避けている予防薬を処方してもらったり、勤め先に欠勤届を出して、夜間の吸入治療に備えたりすることもありました。ときには「風邪を引いて辛いときに、そんな無謀なことをしてはいけない、3日後ぐらいならいいよ」というように、タイミングの修正をしたり「今日はここまで」という緊急停止係を担ったりしました。
 子どもは、調子に乗って立て続けにリスクの高いものを食べてしまうと、症状が長引いたり、痒くなったりただれたり、ということも経験して、歳を経るごとに症状のコントロールがうまくなったように思います。
 失敗したとき、「ほら言ったとおりでしょ」とか「あなたのせいよ」と言わないこと、これがとても大事なことでした。「やっぱり思ったとおりだったね」「このやり方は失敗だったね」というように、一緒に失敗したり、一緒に感心したり、喜んだりすること。それが結果的には母としての私自身の支えになり、子どもの成長につながったようです。
 今でこそ「これが大事」などとわかったようなことを言っていますが、私もとても不安で、やったことの結果がどんなふうに出るか、いつもビクビクしていました。たった5歳の子どもに「一緒に」考えてもらったり、悩んだりさせたのは、少々酷なことだったのかもしれません。
 でも、深い信頼関係なんて、一緒に困難を乗り越えるようなことでもないとなかなか生まれてこない気もするし、結局は私がどんなに望んでも「君の痛みを誰かが代わって引き受けることはできない」のだから、一緒にやるしかないじゃない。それが、私の開き直りでした。
 痒みや息苦しさをふうふう言って乗り越えている我が子の姿は、今も目に焼きついています。それでも「早く治るといいね」とか「辛いね」と話しかければ、子どもの頭の中に、治したい思いや、病気で辛いという思いが印象づけられてしまう。「どうしたら治るだろうね」なんて言葉は、不安の種を蒔くだけだと、あれこれ考えました。なんて言って声をかけようかしら。
 子どもが子どもらしくいるためには、遊んだり、じゃれたり、ふざけたり、「あそこまで頑張ろう」と必ず達成できる身近な目標をもったり、どうしてかな、なぜかなと、頭の中に「?」をたくさんもっていることが必要です。
 症状が出ている最中は、元気になったら三輪車でお散歩に行こう、ブロックで飛行機を作って遊ぼう、と具体的で楽しいイメージをささやきかけました。角の八百屋さんにある果物は、りんごとみかんとあと何があると思う? 痒いのが落ちついて外に出られるようになったら見にいこうね、などと、変な「?」をプレゼントしたこともありました。子どもの頭の中にはずっと「?」が息づいていて、私がすっかり忘れたころに「果物はねえ、ぶどうもあるよ」と突然言われて、どぎまぎしたこともありました。
 振り返ってみると、息子と過ごした闘病の時間は、身体が辛いときでも心の中までしょんぼりしてしまわないように、心の中の自由と「?」をたくさん育てる努力をすればよいのだ、と教えられる時間でもあったように思います。


※『アトピー最前線』63号(20005月号)より転載
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