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事務局長赤城智美のブログ

「ディスレクシアに出会った」

2006.06.20

       赤城 智美 アトピッ子地球の子ネットワーク事務局長
  20065月執筆
    NPO法人EDGE(エッジ)ニュースレターNo.11掲載原稿

「智ちゃんのことが書いてある本をみつけたよ」と言って、ある日姉が本のコピーを持って来ました。小学校低学年の頃は、1年のうち80日間しか学校に行かなかった私。喘息があって体調が悪く、学校は休みがちだったけれど、一度休んでしまうと長々と家にいてひとりぼっちを満喫していました。一般の人の出席日数はおよそ210日くらいだったと思います。それと比べると本当にあまり学校に行っていなかったのだなあとしみじみします。
 80日を覚えている理由は。当時の小学校はその日数の出席があれば、学年を終了させてくれたので、朝学校に行ってすぐ帰ってしまったり、父につれられて行って挨拶して帰ったり、辻褄をあわせて学年を上がったので、家族が「あと何日足りない」といつも気にしていたからです。
 2つ上の姉がいたので、4歳のときから文字を読み詩を書いていましたが、文字は裏返しでした。小学校の何年生までだか覚えていませんが、裏返しを直す練習をしていました。右手と右足が同時に出てしまう歩き方をしていたので、「普通」の歩き方とスキップの練習を部屋の中でいつもやらされていました。家にいる間は一人黙々と詩を書き、本を読み、人になじまない子どもだったように思います。小学校5年生のとき、パールバック、夏目漱石、ヘルマンヘッセなどを読んでいて、担任の先生が「もっと年相応のものを読んでもいいんじゃないか? あせらなくてもいいよ」と手紙をくれたことがとても印象に残っています。
 中学校の入学試験のとき、問題を読んで解答欄に回答するしくみにうまくなじめず、余白に回答を書き、解答欄に答えを書かなかったため、全教科真っ白の解答用紙を提出してしまいました。試験官が余白の回答を読み取ってくれて、なんとか事なきを得たのですが、そこでもう中学校が半分きらいになっていました。入学後まもなくだったと思うのですが、アンドレ・ジイドとカフカを読んでいて、不条理について作文を書いたら父親が学校に呼び出されてしまいました。こんなものを12歳で読みふけるのは家庭に問題があるのではないかと言われたようでした。本を読み詩を書く以外は、まともにできることがほとんどなかったので、自己評価も低く人になじまないので、家族は「智ちゃん」をどうしたものか、少々もてあましていたようでした。
 私が40歳になったとき姉がディスレクシアについて書かれた本のコピーを人からもらい、少し興奮ぎみに説明してくれました。「もっと早くディスレクシアについて知っていたら、もう少し気持ちが楽に生きられたよね」と姉と二人うなづきあったものでした。
 人の名前と顔があまり一致せず、とりいそぎその場を切り抜けるために明るく元気で愛想がいいのですが、家に帰るとへとへとになり、喘息の発作をおこし人に会わなくなる。そんなことの繰り返しは、ただもの覚えが悪いからだと思っていました。大学生になった頃は、緊張と疲労から身体が硬直しチックを起こしていました。喘息の悪化と常備薬の副作用などの悪いことが重なって十二指腸炎をおこし、身体の振るえと頭痛が常にありゼリーやヨーグルトなどの形のないものしか食べられないような状態も持続していたのに、よく学校を休まなかったものだと思います。
 人の名前と顔が一致しないことを勇気を出して打ち明けると「私ももの覚えが悪くて」「みんなそうなのよ」と返されることがほとんどでしたから、私の「どうしようもない」感じを説明できる言葉があるとは思ってもいませんでした。
 人と会う前にメモなどを見て前回会ったときのことをおさらいしたり、名刺をじっと眺めて出来事を記憶すれば、次にあったときうまくいくという小技を身につけて、顔と人の名前ではなく、文字と記憶の関係に置き換えることができるようになりました。私は何ができなくてこんなに困っていたのか、ディスレクシアという言葉に出会ってようやく解明できたのです。

*2006年5月執筆
NPO法人EDGE(エッジ)ニュースレターNo.11掲載原稿

http://www.npo-edge.jp/

*ディスレクシア
知的に問題が無く、聴覚・視覚の知覚的機能は正常なのに、読み書きに関しては特長
の有るつまずきや学習の困難を示す症状のこと。EDGEホームページより
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